ニュージーラ ンドでの学習とホームスティサービス

紹介 | 履歴書

キウィカレッジの海外学習とホームステイ・プログラムは、人生(生活)にもとづいて親子関係を構築している方や、中年期の到来を迎えた方々に対して提供されるものです。人類はしばしば歴史から物事を学ぼうとせず、同じような間違いを起こす傾向にあります。キウィカレッジのプログラムが提供するものは、もし能力のある方々が直接体験として海外での経験を持ったとしたら、社会経済の混乱時に排他的な考え方を唱える煽動者たちに対して反論し、彼らを立場上難しい状況に追いやる事が出来るのではないでしょうか。

 

アイバン・ トーマス・フランシスは、アングロ・ウェルシュの両親を持ち、ロンドンで生まれ、第一次大戦後家族と共にニュージーランドへ移住する。写真はRNZIRの北オークランド連隊副官当時のもので、ソロモン海戦で日本軍と交戦し負傷兵として帰還した時撮られたものである。ガダルカナルを始めソロモン諸島での経験と戦時下の軍事広告により、彼は日本人を嫌悪していた。したがって、彼の息子が日本人と結婚した事は、人生の皮肉なめぐり合わせだった。私の最大の悲しみは、彼が愛するはずであったはずの嫁や孫達と一度も会えなかったという事であろう。

フランセス・(フランキー)・ジョセフィン・フランシスは、アングロ・ウェルシュとアイリッシュの両親を持ち、ニュージーランドのマートンで生まれる。彼女はアイバンとオークランドで結婚し、彼が太平洋戦争から帰国後、体調が回復するまで看護に当たった。写真は1939年ごろのものである。彼女は諸国遊歴の息子が最終的に結婚した事を非常に幸せに思っていた。彼女はアングロ・アイリッシュ・ウェルシュ・ジャパニーズの初孫の顔を見ることができるまで生きていた。

ウォリック・フランシスは、香港の病院を退院後日本にたどり着いた。ユーラシア大陸をヒッチ・ハイキングでロンドン大学へ向かう途中道を間違え、その間インドで悪い水を飲んだり,タイ北部では艦砲射撃で迎えられたりもした。香港の病院を退院後、すぐに到着した日本には長期滞在のつもりは無かったのだが、下記の女性と知り合い、彼女の管理の下で父親業、コンサルタント業,英語教授ビジネスに入ることになった。        

 

紹介




シゲル・クリストファー・フランシスは東京のアイク病院で生まれる。彼の血には12.5%のイギリスとアイリシュ、25%のウェルシュ、 50%の日本人(我々が知る限りで)が混じっている。彼と弟のケイ(下記参照)はともに2カ国語および2重文化を所持し、国際市民を宣言している。クリスは現在ニュージーランド、オークランドのハイ・スクールで他の60国に及ぶ国々から来ている学生達と勉強している。彼は漠然とパイロットになる考えを持っているようだ(わたしが思うに…)。とはいえ、彼は語学に優れており、英語、日本語、中国語に加えてドイツ語も加わり、これらが彼の将来をまた違った方向へと導くかも しれない。

ケイ・マーカス・フランシスは東京の赤十字病院で生まれる。兄クリスと同じく横浜の地元の中学校を卒業。多少学力には欠けるが彼はスポーツ愛好家でアウトドアと動物、特にペットの猫が好き。兄の通ったニュージーランド、オークランドにあるマウント・アルバート・グラマー・スクールに入り、最初は寄宿舎に入り現在はホームステイ滞在中。2004年度は彼にとって高校生活最後の年である。

1998年、クリスがニュージーランド、オークランドのハイ・スクールに出発前の家族と知人による送別会。写真の中で孫達に囲まれているのは彼の祖母で、彼女は川崎で、B‐29による爆撃から彼女の娘が外国人と結婚するまでの人生を送っている。彼女の世代が皆そうであり、また近代日本が再建に成功したように、彼女は人生を通して良く働いた。彼女は平和の中で一緒に育った混血の騒がしい孫達と付き合いながら暮らせる事に感謝している。彼らと彼らの友達,同年代の人々が彼らの祖先の犯した過ちを繰り返さない事を望んでいる。

フヨ・タミヤの彼女の80歳の誕生日を祝う。彼女の 孫達と横浜の中華料理店にて。

 

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